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​Teddy's Scrap House

​2017

The story is about a little teddybear's adv who are thrown away by the owner

Teddy's Scrap House: About
8pm London


​​もう少し理解を深めたいあなたへ

〜このアニメーションの裏話〜

このストーリーを作るきっかけになったのは私がロンドンで書いた卒業論文による。ふわふわな感触はなぜ人に安らぎや安心感を与えるのかという問いをテディベアを対象物として論ずる内容。

ふわふわが与える感性に関しては乳児の頃から成長過程での母との関係に原因がある事や、それがライナスの毛布のようなの精神につながっている。と言及した。そこにテディベアを主として話を進めていくのだが、それは何故、”テディベア”という熊のぬいぐるみが、熊のぬいぐるみではなく”テディベア”として愛されているのかということ。そこにふわふわであることもライナスの毛布精神もくっついてくるのではないかということ。テディベアが鉄でできていたら話は違うのではないか、うさぎでも違う結果になっていたのではないか。じゃあ熊という生き物は人間にとって特別なのか?と話は一度ふわふわから離れて熊という生物にも焦点を当てた。テディベアのふわふわという感触に関しては、素材としての種類、その特徴。感触がもたらす精神的な視点に関しては、過去に実際に行われた、母猿から離した子猿を使った実験で、ふわふわな柔らかさに母の愛を想うかどうか、とそれの重要性を導き出した実験結果を例に出した。テディベアのヒストリー等にも触れ、だから、ふわふわは安心するし、その特徴と熊がぬいぐるみになったテディベアも安心する対象物なのだと最終的に話は着地する。半分は自分の興味本意で動いた自己満足的な論文になってしまったのだけれど、その論文とこのアニメーションは大きく関わっている。

このアニメーションではふわふわという部分ではなく、何故熊なのかという派生の話として出した熊に焦点を当てている。熊と人間の関係性、と現代社会にある問題点の中に共通する精神性を感じてひとつのストーリーの中にパラレルさせている。例えば、モノで溢れかえる先進国。新しいものはそれでも毎日生産され続けている。サステーナビリティを訴える人がいる中で、まだまだ生産力の方が上回る世の中。人は安くてそれなりのモノを買って翌年には捨て、忘れていく。戦争を体験したおばあちゃんのモノを大事にしなさいという生の声を聞ける同じ時を共有していてもこのような時代だ。ゲームやSNS等の2次元世界では相手のことも粗末な扱いにできる。もちろん使い方を考えればそのようなことばかりではない。だけど、そんな世の中で生きているとこわいと思うことがある。昔の暮らしに憧れを抱く時がある。どうしたらいいのだろうかと考える時がある。


一匹の小さなテディベアの冒険の中にそれらのことを落とし込んだ。ネアンデルタール人が生きていた時代、人は熊には特別なリスペクトを持って接していた。熊の骨を綺麗に並べて葬られている跡が見つかったことでわかった。熊(自然)と人間との距離感はいいバランスで保たれていた。人は鉄砲を持ってからどんどん強くなり、生き方に変化が出てきたと思う。電話はどんどん薄くなるし、人は上へ上へと上ばかり見ている。けれど、現状維持の時代や後退りする時代があってもいいのではないかと思う。テディがハッピーエンドで終わらないのは私たちの問題も解決していないし、これからも続くから。

きっと、ただこのアニメ見ているだけでは伝わらない背景だと思う。もちろんそれだけで見ていただくのもいいと思っている。あまり複雑にして子供に理解してもらえないのも嫌だと思った。アニメだけ見たら、大半の方は、持ち主ひどいな、テディ可哀想、頑張れ!って気持ちになっていただけるかと思うが、それが上のすべてを削ぎ落とした部分だと思うので、内容を深く理解してなくて観てもらっても、その中で生まれる感情だけでも感じてもらえたら、有り難いと思っております。

Teddy's Scrap House: Bio
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